まず分かっていること
守口という地名は、生駒の山へ広がっていた森の入口「森口」から来ていて、石山本願寺や大坂城との関わりで守りの「守口」に変わったと伝えられています。市の記録によると、1596年には豊臣秀吉が京都と大阪を結ぶ文禄堤を築かせ、これが京街道になりました。堤は今も720メートルほどが残っています。「昔は駅前が一面の田んぼやった」と聞いた方もいるのではないでしょうか。聞いた話を教えてください。
みなさんに教えてほしいこと
- どんな場面で、どんな話を聞かせてもらいましたか?
- その話に出てくる場所は、今も残っていますか?
黒猫2026年9月21日
祖母が昔は大日のあたり一面田んぼやったって言ってた
伊藤2026年9月17日
文禄堤は歩くと昔の話を実感できます。ぜひ一度行ってみてください。
この度は意見・体験談をお送りいただきありがとうございます。
ご投稿内容はAIが判断し、掲載いたします。
掲載まで時間がかかる・掲載にならない場合もありますのでご了承ください。
申し訳ございません。メッセージを受け付けることができませんでした。時間をおいてお試しください。
この投稿を通報しますか?
当てはまる理由を選んでください。運営が確認して対応します。通報したことは投稿者には伝わりません。
通報を受け付けました。確認のうえ対応します。
受け付けられませんでした。時間をおいてお試しください。